折々のことなど1

立礼席を作りました

 

長時間の正座が難しくなったり、まったく座れなくなったりを繰り返していました。亭主をやりたいという方がいらしたこともあって、続けてくることができました。

正座が難しいお客さまには椅子をお出しできますが、亭主はそうはいきません。

 

たまたまいらしたお客様が、イギリス人のパートナーに小上がりのようにお茶空間を作ってもらったという写真を見せていただきました。

 

ずうずうしくも私も、とお願いしたら思いがけず作って下さることになりました。

 

 

こちらはマーチンさんが恵さんのために作ったお茶空間。

IHヒーターの炉もあります。

 

部屋の都合から逆勝手になりました。灰の入った風炉を乗せるのはかなり補強が必要になりそうでしたので、IHヒーターの炉にしました。ヒーターの熱を逃がすための工夫もしていただき、至れり尽くせり。マーチンさんはとっても凝り性です。

マーチン家の家庭内会話は英語なので、恵さんのサポートもありがたかったです。恵さんにはインテリアのアドバイスもいろいろしていただきました。

 

お二人には本当に感謝です。そのほかにも設計段階でいろいろアドバイスをいただいた方々、ファブリックを提供してくださった方など、多くの方のお力をいただきました。

ありがとうございました。

 

クリスマスのお菓子

 

立礼のお茶事にお招きいただきました。

道具好きの人たちが集まり話がはずみましたが、写真を失念。

 

銅の打ち出しに漆をかけて焼いたという茶器、ご亭主手作りの更紗の仕服、山田山庵のたっぷりした楽茶碗、銀色の打ち出しの建水などなど楽しいお道具満載でした。

 

クリスマスのお菓子3種、お客様が赤、白、緑の色で選ぶという趣向。菓子器が了入と道八の合作という珍しいものでした。

 

開炉

 

江戸千家の開炉のお茶事に伺いました。

席入りすると、炉は釜はかかっておらず、種火も入っていません。それでも炉中拝見するのかな、と思いつつ、よくわからないので型通りに。

 

江戸千家では種火を入れるところからなさるそうです。

炭斗、灰器を持ち出し炉中に湿灰を撒きます。その後水屋から半田焙烙にたっぷりの灰とその上に種火3本をのせたものを持ち出します。

種火を入れ、半田焙烙は水屋へ。その後初炭点前です。江戸千家では5本の枝炭を一度灰器の上に移して炭をつぎます。炭を継ぎ終わったら枝炭を炭斗に移してその中から1本を炉中に。

 

その後小さなお盆が持ち出され、その上に何か3つのものがのっています。まず小皿に盛ったお塩、炉縁にそって四方に塩を撒きます。その後は香の代わりに菊の葉を炭にのせ、最後に火打石で炉中を清めます。炉中を拝見している私たちも、火打石で清めていただきました。

たっぷりとした濡れ釜が持ち出され、座掃きをして炭点前は終わりました。

 

懐石ではおめでたいということで、向付に金箔が添えられていました。

 

 

風炉先屏風の修理

 

友達の友達に表装の勉強をしている方がいることが分かり、ずうずうしくもボロボロの風炉先屏風の修理をお願いしました。「みんなでやるのよ」というお言葉で、おそるおそるやり始めましたが、なかなかおもしろい。見違えるようになりました。

 

 

本格的にやる場合は枠を外して修理するのですが、今回は簡単に。

最初に下張りをします。40センチくらいの紙を貼っていきます。糊は大和のりをつやがでるまで練るそうです。濃い糊と薄い糊を作って、紙の縁は濃い糊を、真ん中は薄い糊を付けます。

 

左が先生。下張りを貼っていきます。和紙の繊維が出ているところを枠の方にします。後で枠の間に押し込んで、隙間がないようにするそうです。

貼った後、乾いた刷毛で上からなでます。

糊が乾くのを待ちます。

表紙は事前にくしゃくしゃにしておきます。

これも同じように縁は濃い糊、真ん中は薄い糊をつけて、一気に貼ります。こちらは枠より大きなサイズの紙です。

枠に合わせて紙をカットします。これは先生でなければ難しそう。

右はまだ糊の乾かない状態です。

見違えるようになりました。しわしわにした紙の表情が出るでしょうか。

 

朝茶

 

久しぶりのお茶事にお招きいただきました。朝茶です。

7月も下旬の暑さ厳しい折りとはいえ、早朝の風は爽やかで、朝茶ならではと感じました。

 

前席は花から。南蛮の掛花入れに蔓が程よくのびた朝顔。朝顔は前日から切ってかけておく、と丸まった蔓が自然に伸びるそうです。

 

各服点ての濃茶は、1人分5杓くらいのお茶を入れられました。紅茶で茶葉を入れる時に人数分プラスポットにも1杯をプラスするように、お茶碗の分もお茶をプラス。一人分でも甘く美味しく練られました。そして飲み終わったお茶碗にお白湯をいただき、茶筅は使わずお茶碗をゆっくり回してなじませると、これもおいしくいただけました。これは私もやってみようと思いました。

 

そして薄茶席は庭に面して御簾屏風をたて、掛花。その前には氷の入ったガラスの大鉢、巻簾を上に乗せ蓋のようにして、冷水点てでした。建水の中に茶巾台を入れて持ち出し、点前座につくと巻簀を向こうに折り(または巻き)ます。柄杓を構えたら茶巾台を取り出し、茶碗の茶巾を乗せます。茶巾台は小さな馬上杯型の器で代用できそうです。柄杓は蓋である巻簀の上に上向きに合をのせ、鉢の縁にかけます。

 

すだれ越しの緑が美しく、冷たい抹茶もさっぱりとおいしかったです。

夏を満喫したお席でした。

 

除夜釜

大晦日にJRの終夜運転が行われることになり、除夜釜に伺うことになりました。

大晦日から元旦にかけて、長時間にわたるお茶事で、記憶に頼って流れを記してみました。記憶だけなので、あいまいな部分、違っているところも多々あると思いますが、貴重な体験でしたので、メモを残しておきます。

 

除夜釜(埋火の式)

 

待合で卵酒をいただく。露地に出て、詰めが板木を人数分打ち亭主に客が揃ったことを伝える。蹲には湯桶の用意。

 

本席は釣り釜で除夜の鐘を思わせる鐘型の釜、炉縁は木地、ご主人の手作りだとか。

 

前茶

5椀を細長い盆にのせ、中央の茶碗を膝前に取り込んで点前。正客に出す。水指は無し。

残りにはすでに抹茶を入れておいて、お湯を注いで点て、盆ごと出し、次客が盆ごと取り込む。

 

炭(後炭)

半田に左側(?)に炭、右に灰、灰匙に香をのせて持ち出す。

釜を上げ、下火を直し香を入れる。半田の向きを変え、灰を炉側に来るようにし灰を撒き、半田の向きを変えて炭をつぐ。裏千家では丸管、割管、枝炭を一度に火箸ではさんでつぐとのこと。

 

蕎麦

暖かいニシン蕎麦、続いて冷たい茶蕎麦。オクラ、長芋などとワサビを添えて。

八寸 蒸し牡蛎 栗の渋皮煮

半田焙烙に火箸と底取りを組んで持ち出す。大きな炭は火箸で半田に取り、残りは底取りで取り、半田の炭を戻す。それを種火としてたっぷり炭をつぐ。灰をよせて埋火とする。

 

 

その後、近くの駒形神社へ初詣。

 

コロナも多少落ち着いているからか、拝殿まで行列ができる。

地元で親しまれている神社のようで、家族連れなども多い。

初詣から戻り、露地から茶席へ入ると、席中は新年のしつらいに一変。

蓬莱飾りと結び柳、紅白の椿が青竹の掛け花入れに入れられている。

 

点前座には真台子に紫交趾の皆具。炉縁も木地から塗の松竹梅の蒔絵に。釣り釜から五徳を入れた霰釜に変えるのも大変な手間だと思います。

 

初炭

台子なので炭台を使っての初炭点前、釜を上げ、灰を火箸で整え埋もれ火を種炭として炭をつぐ。お正月らしいぶりぶりの香合。

 

釜を持ち入り、ふかして再度持ち出す。

 

続いてお雑煮(紅白の丸餅で薄い味噌仕立て)、黒豆、数の子、ゴマメとクルミの飴炊きの三種(羽子板型の皿)、鮭とイクラ、キャビア(松葉の向付、古伊万里)

八寸 エビ、たたきごぼう

菓子 ふっくらした花びら餅

 

濃茶

台天目で献茶、その後各服点てで。

 

続き薄

 

すべてが終わったらすでに5時半。その後ご亭主を交えてシャンパンをいただいて、薄明るくなってきた道を帰路につきました。

 

秋の煎茶会

 

いつも桜の花の下で開かれていた煎茶会。今年はコロナで行うことができませんでした。お茶のお稽古もしばらくお休みとなり、お時間ができたということで、秋の煎茶会を開いていただきました。

 

満開の桜の代わりに秋を感じさせる金木犀の香が迎えてくれました。

 

色々教わったのにその場限りで記憶も定かでなく、ただただ美味しいお茶をいとおしんでいただきました。

お煎茶の道具はいずれも小さくて可愛らしい。

 

床だけでなく書院飾りになるのでしょうか、さまざまな文房具なども飾られています。

大型の水注はどのように水を入れるのかと思ったら、底に穴が開いていました。

立派な墨は王羲之の蘭亭序が彫られているもの、このよな墨は恐れ多くて使えませんね。

 

 

豪華なお昼は、お庭の梅でつけられた梅酒も添えられて、美味しくいただきました。その後は立礼のお点前でまたお茶をいただきます。1煎目の甘いお茶と2煎目のほのかに苦味も加わった味の変化も、お煎茶の楽しみです。

 

皆さん、お茶会や茶友に会うのも久しぶりで、お茶の後も話がはずみました。着物を着て並んでいらっしゃる方々が、レオタードで体操やバレーをやっている(またはやっていた)という話も出て、なかなか想像しづらいお姿でした(^^)

 

春の会は中止なので・・

 

コロナウイルスの蔓延で、3月4月のうさぎの会は中止ということに。

 

この春デビューさせようと思っていた春の器です。とりあえずHPでデビューを。

 

来春までおやすみなさい。

式正織部流

千葉の式正織部流のお茶会に伺いました。道具は直に下におくことがなく、2枚の袱紗を使うということで、楽しみにしていました。

 

小ぶりの赤い四方棚に三島の水指とその前に畳んだ茶巾、天板に芽吹き柳の棗(音丸耕堂)が飾られています。お点前の人は、羽箒(白閑鳥<はっかんちょう>)と大きな折居のような包みをもって点前座に。羽箒で天板を清め、包みの中から紫の使い袱紗を取り出し天板を清め羽箒の柄の上に置く。

茶碗は低い台付きの茶托のようなものに乗せて持ちだす。中に茶巾、茶筅を仕込み、茶杓は上向きに掛ける。まず水指前の茶巾で手指を清め、茶巾は建水の縁にかけておく。紫の袱紗で棗や茶碗の底を軽くふいて、地板におく。右腰につけた朱の袱紗で棗や茶杓を清める。棚にまっすぐに座るので(棚前に進んでから数歩下がる)炉のお湯を汲む時も向きは変えず、真横に手を伸ばす感じになる。柄杓は左ひざの上に構えるのは他の武家流にも多い形です。

 

お菓子をいただいているとパタンという音がしました。棗は体の正面で蓋をとり、そのまま下に落とすのです。下には最初の袱紗を包んでいた包みが置かれていて、蓋はその上に。20センチくらいは落下したのでは・・。びっくりしました。

 

お茶碗は台に乗せたまま出され、陰点てのお茶碗にもすべて同じ台がついていました。

棗と茶杓は拝見に出すときは、ひし形で七宝模様のようなお盆に乗せられます。すべての道具は点前中も直に畳に置くことはないとのことでした。

 

記憶に頼っているので、順番は違っているかもしれませんが、とても丁寧で珍しく感じることが色々ありました。武家流の点前は丁寧な感じがすることが多いですが、式正織部流はその中でも特に丁寧なのかもしれません。侘茶が非常に簡素化されていることが良く分かります。めったに拝見することがないお点前でしたので、大変興味深かったです。

 

軸は「雪の中で花が一枝咲いた」という意味の漢詩、それに呼応するような紅梅のつぼみと白い椿が胡銅の花入れに入れられていました。七福神のうちの大黒様の香合、ネズミが大黒様の神使ということから子年にちなんで。残りの六神も床脇に飾られていました。

 

主茶碗は小ぶりな御本呉器、次茶碗は節分が近いので「福は内」茶だまりの「福」の字が、お茶を飲むと現れます。表側はヘラ目とむらむらとした飴釉のような茶色っぽい釉薬がかかっていましたが、これが真葛焼き、高台内に「真葛」の印もありました。真葛にもこのような絵のないものがあるのですね。横浜の、と言われていたので、明治の頃のものかもしれません。茶杓は忘れました(-_-;) 華奢なきれいな茶杓でした。

最後、天板に青竹で小さい枝が2つ、カタツムリの角のようにでている蓋置と柄杓が飾られました。

釜は筋釜で織部の時代のものだそうですが底は直されていず、当時のままのものだとか。炉縁は鷺を描いた金貝細工。薄い金属を螺鈿の貝のように張ったもの。拭き漆だと思いますが、とても素敵でした。

 

お茶は星野園製、席主の方は九州の星野園で出げいこされているそうです。

                               

式正織部流は千葉県の指定無形文化財となっています。現在「織部桔梗会」が伝えているとのこと、使い袱紗はたくさんの桔梗紋が染め抜かれていました。席主は正客を「せいきゃく」と言われていました。(2020年2月2日)

 

明治天皇への献茶の取り合わせ

三井記念美術館で「国宝雪松図と明治天皇への献茶」の展覧会。

明治天皇への献茶は真台子に祥瑞の水指、青磁の杓立でしたが、建水は備前の焼締め。こういう取り合わせもあるのだなあ、と思いました。真台子に焼き締めはあまり使わないように思っていました。この建水は皇后への献茶でも使われました。

 

皇后への献茶はかわいらしい緑色の交趾の風炉に南鐐の釜。普通の風炉より1回り以上小さく見えました。それに朱塗りの手桶の水指、本歌より小さいそうですが、風炉釜と同じくらいの大きさ、こういのもありかなあ、と思いました。私だったら第一室にあった小ぶりの染付菊形水指を取り合わせたいなあ。

 

茶碗は小ぶりの金蘭手の天目(永楽和全)、天皇は赤、皇后は白でいずれも鳳凰文が繊細でした。皇后の席の三幅対の中回しが、小さな花の刺繍なのもかわいらしかった。(2020年1月28日)

 

お福茶

お正月には煎茶や白湯に梅干しやコブを入れた大福茶をいただきます。宮中ではお抹茶に梅干しを入れたお福茶をいただくそうです。今日伺った所で、そのお福茶を出していただきました。黒文字のような楊枝を添えて出されます。楊枝は懐紙に置いておいて、お茶をいただいて梅干しもいただきます。残った種は楊枝を置いてある懐紙に出し、楊枝を包むように懐紙を細長く巻いて最後に懐紙ごと楊枝を2つに折るそうです。その時の音で邪気を払うのだとか。(2020年1月19日)

 

煎茶と茶道

煎茶の14流派が3日間にわたって席をもつという東京大煎茶会に伺いました。煎茶の道具はどれもこれもかわいらしい。流儀の数も多く、床飾りも様々で楽しい。ほんの一口のお茶を大事に大事においしくいただきました。

 

友人によると最近の傾向に合わせて家元がどんどん立礼にしているとのこと。この日入った3つの席もすべて立礼でした。

 

時代に合わせて家元自らが変えていっている、というのが新鮮でしす。最近は正座や立ち居がきつくなってきた私にとってはありがたいことです。

 

しかしながら、やはり畳の上に座ることは捨てがたい。それは単なる思い込みなのでしょうか。

 

ある方によると「煎茶は亭主の居室(文房)に親しい者を招き、主客共に茶を喫し語らい、共に時を過ごすもの」だそうです。茶道だって同じようにも言える一方で、もっと重たいものも感じるのです。

 

室町時代からお茶は秀吉など時の権力者と強く結びついてきました。それは現代でも変わっていません。外国からの賓客をもてなす時に抹茶がふるまわれたり、家元の初釜などに時の首相が招かれたりしています。

 

 

煎茶が軽やかに変わっていく一方で、茶道はどうなのでしょうか。組織が大きいということもあるでしょうし、権力者に近い(それなりの権威を手放したくない?)ということもあるかもしれません。

 

それに単に立礼にすれば良いとも思えません。茶事など立礼では単なるお食事会のように感じてしまいます。

 

そう感じるのは頭が固いだけなのでしょうか。

陽明文庫の茶杓箪笥

京都の陽明文庫にある茶杓箪笥が、杉並の郷土博物館で公開されました。なんで杉並? 都内の美術館でやればかなり話題になり、人も集まるでしょうに・・。

 

とにかく近くで100円で見られるのはラッキー。

 

京都では展示資料が多いため、全部の茶杓が展示されることはないそうですが、今回は31本全て展示されました。

 

文庫長の講演もあり、展示では見えない部分についても詳しく説明さたのも非常に参考になりました。毛ぼりで名前が入っていたり、曲げる時に割れてしまったものを漆で補修してあったりと、大事にされてきたのだな、と思います。

 

近衛予楽院は金森宗和の茶杓を一番多く使っているそうです。茶会記からのそういったデータも聞くことができました。展示されている宗和の茶杓は比較的穏やかで優しいものでしたが、以前どこかの展覧会に出ていたものは豪胆な印象のものでした。その時は姫宗和と言われていても、やはり武将なのだと思いました。

 

 

 

荻窪には近衛文麿のお屋敷があります。そこが相続の時不動産業者に売却されそうになりました。周辺で反対が起こり、そこで杉並区が買い上げたそうです。杉並区って太っ腹。知らなかった・・

 

また屋敷の一部が現在豊島区にあり、それを移築して本来の姿に戻す活動が行われているそうです。今回の展示はそういった活動の一環なのかもしれません。というようなことのアピールはありませんでしたが、ひっそり寄付も募っていました。それじゃ寄付くらいしようかしら。

鎮信流の席で

根津美術館の慈善茶会で鎮信流の席があり、朝1番に伺う。案内には斑鳩庵と書かれていたが、釜がかかっていたのは隣の清渓亭。

席に入ると床の大きな花に目を奪われる。茶席であまり見ない見上げるような大きな枝(ドウダン?)と大輪の菊。花入れも40~50㎝くらいありそうだったが、鎮信流では花入れの高さの5倍の高さまで花を入れられるのだそうだ。武家流の豪快な花だ。掛物は和歌(松浦心月侯)の短冊だったが、1間の床にのびのびとした花と繊細な書が調和していた。

 

香合は梶の葉。梶というと七夕を連想するが、これは松浦家の家紋だそうだ。古銅の蓋置も梶の葉。

 

茶入れはいかにも時代がありそうだったが、古瀬戸藤四郎とのこと。大振りの織部や鼠志野の茶碗もどっしりと時代を感じさせる。茶杓も流祖松浦鎮信作。

 

ご亭主の道具に対する思いの感じられる席だった。なかなか拝見する機会のない鎮信流だったし、ご亭主のお話も穏やかで、心豊かになるような席だった。大寄せでは得難い席だったと思う。

 

 

もう1席では、珍しい紅葉灰を拝見した。紅葉の葉を藁灰の要領で焼き、それを風炉の中に敷き詰めたもの。

 

写真を撮らせてもらったが、良く分からず(^-^; 黒いところは紅葉の形の黒い灰がびっしりと重なっている。

 

大変に手間がかかったのではないかと思う。秋ならではのご趣向でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

茶事のお客組み

表千家14代家元の書かれた「茶の湯随想」

その中に昔はお茶事の案内状にお客全員の名前を書いて送り、受け取ったお客のほうで客組の中に差支えのある人が混じっていたら、欠席を申し出るほうが正直であり礼儀にかなっているとされていた、という記述がありました。

 

そうなのかなあ。たとえ差支えがある人がいても一座建立の精神で場を作るのが客のたしなみではないのか。

 

うさぎの会のように、ホームページを見て参加される方が多いと、もちろんどんな方が連客かなどまったくわからず、それでも毎回かならず良い雰囲気、楽しい会にしてくださるお客様にはほんとに感謝です。それこそ一期一会で、その新しい出会いからそれが深まっていくことも多々あり、うさぎの会を開いた甲斐があるというものです。

 

コレド茶会

コレド日本橋の中のお茶室で社中のお茶会があるというご案内をいただき、うさぎの会のお仲間とお邪魔しました。

床は小堀遠州が金地院に、梨を贈られたことへのお礼状。調べてみたら遠州と金地院は親しく交流があったそうです。その軸にちなんで、全国を探して九州からお取り寄せの梨を香煎席にお出しいただきました。初物です。

 

立礼席は国際色豊かな道具組。オリンピックにちなんだ五輪のお茶碗(バルセロナのオリンピックの時に作られたそうです)やアメリカの方からいただいた祥瑞の茶器、コロンビアの木の香合などなど、華やかで楽しいお席でした。

 

福幸茶会

 

手首を骨折してしまったので、お茶事のお誘いも泣く泣くお断りしていましたが、ようやくギプスもとれ、久しぶりにお茶会に伺いました。東日本大震災をきっかけにすこしでも元気になっていただきたいと、ご自宅でお茶会を始められたそうです。福幸茶会は復興とかけているのですね。後で気づきました。

 

 

濃茶と薄茶をゆったりといただきました。興味深かったのは床の作りです。真ん中から引き戸で左右に開くと窓があるそうです。写真でみると光がもれていますね。

 

お茶事の時、後座では開いて外の光を取り入れるそうです。いろいろ工夫されています。ご自宅ならではですね。

 

お薄ではこの時期ならではの様々なお茶碗でした。通次高山の紅葉、沈寿官の雁、古い小ぶりの大樋、真葛の菊桐など、博学な皆様の焼き物談義も楽しかったです。

 

まだ右手は不自由ですが、お茶をいただくにはさしつかえがありません。

 

 

今度はお茶事が控えていますので、懐石をいただくのはどうかな? 

 

骨董市

 

うさぎの会によく来てくださる方たちと骨董市に行きました。

 

梅雨の前の素晴らしい晴天でしたが、最初に言った東京国際フォーラムは、木陰が多くて気持ちの良い風が吹いていました。

 

お眼鏡にかなう物に出会った人も、見るのを楽しむ人もそれぞれに過ごしました。

 

 

一通り見た後、富岡八幡の骨董市へ。お昼は下町の名物、深川飯のお店で。

 

ここでもお目当てのものをゲットした人も。

 

結局全員、お買い得な着物やお皿や茶道具などを購入してしまいました。

 

 

 

最後にうさぎの会にちなんで、小さなガラスのうさぎを200円で買いました。

 

計画では新井薬師の骨董市にも行く予定でしたが、満足したし暑かったので、新井薬師はまたの機会に。

 

今度はお菓子屋さん巡りもいいね、という話もありました。

 

むしあげ(虫明)

岡山で虫明焼の展覧会を見ました。

 

岡山藩の筆頭家老である伊木三猿斎が、京都から陶工・清風与平を招いて、京風のやきものを作らせたのが虫明焼きの始まり。その後真葛長造、香山も作陶しました。真葛焼きというと華やかな印象がありますが、特に虫明の長造の作品は清楚な感じなものが多く素敵でした。

なかなか東京ではまとまったものが見られないので、足を延ばした甲斐がありました。

 

以前骨董市で出会って、虫明の茶碗を買おうかな、と思ったけれど持ち合わせがなく、その後某所でもっと素敵な虫明を見て買う気を失ってしまいました。でも長造のような、あんなお茶碗なら欲しいなあ。某お茶事で使われた、桜の一枝が描かれた万古の茶碗に通うものがありました。

全慶應茶會

 

穏やかに晴れた文化の日、根津美術館での全慶應茶会に伺いました。紅葉が少し色づき始めていました。

全慶應茶会は慶應のOBと現役の茶道部のお茶会のようです。

濃茶席は上田宗箇流。お家元じきじきに後見に。

 

 

寄り付きでお菓子をいただきましたが、足のついた縁高で初めて見ました。懐紙には4つ折りの半紙を使い、一番上は三角に折ってありました。

 

上田宗箇流は開炉には山りんどうを使うのだそうです。

 

 

 

茶席の案内の表紙の文字は松永耳庵だそうです。一保堂にも茶道部出身の方がいるそうで、一保堂のお茶が使われました。

 

現役の茶道部も裏千家、表千家、上田宗箇流とあるそうで、層の厚さを感じます。

 

薄茶席は現役の学生の一生懸命なお席で、開け放した窓の風景共々さわやかでした。

 

懐石勉強会

富山から懐石料理のお料理人である中尾英力さんが来てくださって、名残りの懐石についてお話を伺いながらいただきました。

 

中尾さんのフェースブックはこちら

 

仏教のお話から、ご飯をいただくのは命をいただくこと、懐石の中心は煮物碗ではなくご飯です、というお話など、いつも適当な私にとってへえ~、なるほど、ということがたくさんありました。

 

最後は亭主の美意識です、とのことでしたが、本来のことを知ってて崩すのと知らないでやるのでは大違いですね。

平家琵琶の茶会

 

平家琵琶とお茶会のコラボレーション。

なかなか触れる機会がない平家琵琶。

 

お茶会では濃茶点前に合わせて一曲。濃茶が練りあがるのとぴったり終わりました。

 

 

 

琵琶床にも平家琵琶が飾られていました。月のマークが平家琵琶の特徴だそうです。お干菓子にも琵琶の焼き印。

 

お茶の後では、小督を語っていただきました。嵯峨野を訪ね歩く有様が、しみじみとした琵琶の響きとともに語られ、心にしみました。

 

秋にふさわしい一曲と感じました。

茶筅供養の茶事

初めて茶筅供養の茶事に伺いました。どのようにするのか興味津々です。

懐紙の頂点をずらして、三角に折ります。この懐紙を茶筅に巻き付けます。着物の左前のような合わせ方をして、こよりで結びます。家ではこよりの代わりに緑の紐です。紐の端は上から下に挟み込みました。茶筅を床の三宝の上にのせました。

 

 

 

炭を井桁に組んだ中で燃やします。室内でしたので、1本だけ。皆で般若心経を唱えました。

その火を風炉に移して種火にして、お湯を沸かすのだそうです。炭をついで精進の一の膳が出ました。精進の赤い器に向付は膾、一献あって中立になります。

 

再び席に入ると、大きな茶筅形の花入れに蓮の花が活けられていました。

 

 

お菓子が三種でて濃茶。続いて二の膳は点心で。薄茶はなく終了でした。

貴重な体験でした。

煎茶三流派合同茶会

最初は方円流。本勝手と左勝手のお点前を同時に行い、お客様も床の前に二人並び左右に並びます。お道具も丸い物と四角い物などを使います。正客座には煙草盆にあたるものが二つ並んでいました。お菓子は2種類のうち好きな方をいただきました。冷たい煎茶をいただきました。

 

次は三癸亭賣茶流。お客様が5人とお点前の方が向かい合うテーブルがいくつも並び、目の前でお点前が拝見できます。

最後は小笠原流。棚を使ったお点前で、瓢の炭斗もおかれています。ヒョウタンを使った瓢杓というのを使うのが珍しい。柄杓として湯を汲んだら、柄の方から注ぐ。柄杓を使うので、釜や水指を使います。

 

 

蓮、蘭、菊の花、その他飾りの背景を理解するには幅広い教養が必要ということを感じました。教養のない私には見た目以上のことはわかりません((+_+))

こちらの流儀では、正客の座を示すのに床とはまた別の花を置くそうです。

 

桜の煎茶会

 

庭先の桜がほころびかけたお宅の煎茶の会に伺いました。まず目をひいたのが、可愛らしい巻物と中国の文房具。なんとこの文房具はすべて墨でできているのです。硯も筆軸も硯屏も定規も何から何まで墨で作られているとは、さすが中国。

 

こちらのお宅の仏壇から出てきたそうですが、大正時代の中国のお土産品らしいというのですが、お土産にしてはずいぶん手の込んだものです。巻物の左側の筒のなかに、大正時代の新聞紙に包まれて、すべての文房具が納まっていたそうです。煎茶の飾りつけとしてもピッタリだと思いました。

 

煎茶もいろいろなお点前があるのですが、この日は蒸茶式というのをしていただきました。

 

 

扇で涼炉を優雅に扇ぐのですが、写真では全然分かりませんね。このお点前の特徴の一つ、お茶碗の縁をお湯につけてお茶碗を回す縁洗いというのをしました。

 

どんなお点前でも、とにかく一煎目のほんの僅かのお茶の美味しいこと。まったりとした甘みとうま味がなんとも言えません。

 

みんながもっと飲みたい、と思うのですが、この味が出るのは最初だけ。

 

 

このお茶を味わうために、お菓子はまだいただきません。座敷では、お菓子は二つ折りの懐紙の間に取ります。

 

煎茶ではお菓子やお茶の銘を茗主(抹茶でいう亭主)がつけるのだそうです。本日のお菓子の銘は花筏です。

 

最初のお茶をいただいてから、お菓子をいただきます。二煎目は多少苦みなども出て、お菓子の後にはよく合います。

次の席は洋間のために新しく作られたお点前だそうです。茶箱のように一式が箱に収められていますが、中には仕切りがありました。お菓子も同じように仕切りのあるものでした。

 

今度はお茶を変えてくださり、味の違いを楽しみました。

 

お煎茶も本当にいろいろなお点前があって、めったに拝見する機会がないので、楽しいひと時でした。

 

素敵なスカーフをまとって

 

19日のうさぎの会には、以前いらした染織家の嘉本さんがまた来てくださいました。

 

その時スカーフをオーダーした方々が、そのスカーフをまとって、作家と一緒に写真に納まりました。

 

嘉本さんは第2子が5月出産予定で、今は羽田は織れないそうですが、縫物は大丈夫とのことで、私は大津袋をお願いしました。

名残りの紅葉の鎌倉

 

鎌倉で武家茶のお茶会がありました。我江ノ電の長谷駅近くの長谷別邸は、かつての個人の住宅をイベントスペースとなっているもの。

 

静かな住宅街の中で、名残りの紅葉も美しい穏やかな日でした。

 

鎌倉武士にちなんだ道具組で、花は鎌倉の山に自生の椿とか、うらやましい環境です。

 

流派を超えて交流している男性たちの濃茶席と、薄茶は茶箱席。

木村茶道美術館

 

新潟県柏崎市の木村茶道美術館。前々から噂に聞いていましたが、やっと訪れることができました。

 

ここでは展示している茶道具を使って、お茶をいただくことができます。室町時代から現代までの貴重なお道具を実際に使ってお点前をしてくださいます。

私がいただいたのは李朝の玉子手のお茶碗。縁に丁寧な金継がされていて、大事につわれてきたことが伺えます。

創立者の木村翁が江戸千家だったそうで、江戸千家のお点前でしたが、現在はいろいろな流儀の方がお点前をなさるそうです。

 

お菓子は地元最上屋の初霜。桃山時代の志野の角皿、一閑人のように覗き込んでいるお人形がついていました。

 

11月いっぱいで冬期休館になり、庭の紅葉も終わりかけでしたが、その分静かで、美術館の方のお話も尽きることがありません。

 

リピーターも多いようです。石臼で茶葉を抹茶に挽くことも月2回やっているそうです。今年はもう終わりなので、そんな時にでもまた訪れたいものです。

 

美術館がある松雲山荘の庭に名残りの紅葉が美しかったです。

 

道具は使ってこそ生きるもの。とはいうものの美術館の展示品を実際に使っているのはここだけらしい。

 

いったん美術館に入ると、このように使うことは今は簡単にはできないのだそうです。ある学芸員の方から伺ったことがあります。

 

 

日本の焼き物は使うことで変化し、これを焼き物を育てるなどと言いますが、そういったことがまったくできない。

 

徳川美術館の白天目も一度も使われたことがないらしい、と、初めてこれでお茶を点てた千宋屋氏が言っていました。

 

 

この美術館では、道具が生き生きとすると思います。得難い存在です。

 

アクセスがあまりよくないので、車が便利です。電車の場合は柏崎駅にある観光協会にタクシーの割引券がありますので、これを使うと1コイン500円で行くことができます。

 

 

セミナー「懐石の心」

富山で懐石料理をなさっている中尾英力さんのお話と点心の会に伺いました。

現在の飯碗と汁椀は同じ形をしていますが、元々は飯碗だけ別の形をしていたそうです。それは仏教とふかい繋がりがあるというお話でした。仏教本来の形であり、ご飯を特に大切にする形だそうです。

 

禅僧の応量器も参考に見せてくださいました。

 

食物は命の交換であり、作法は人の心の現れが形になったもの、ということも改めて教えられました。濃茶の袱紗さばきにも仏教の考えを表したもの、というのも初めて聞くお話でした。

 

台子は天と地、4本の柱は四季を表し、さらに木火土金水があり、宇宙のすべてがあるという考えも初めて。言われてみれば確かにそう言えます。

 

懐石にも点前同様真行草があり、草から真に、そしてまた草にもどるというのは、点前では実感があります。「真の中に草があり草の中に真がある」というそうですが、まさにその通りだと思います。残念ながら茶事では実感するにはいたりませんが。

表千家で使われる飯器や金色の湯桶は、東大寺由来の形だそうです。金色の湯桶は灯に油を注ぐものの形から。

 

比叡山には1200年にわたって絶えることなく灯る火がありますが、それは伝燈すなわち伝統ということです。ですが、古くから伝えられてきたものも新しい油を注ぎ続けなければ絶えてしまうのだ、ということは、茶道には厳しい言葉に聞こえました。

 

お楽しみの点心は、どれもただ美味しいといってしまうことができないような味わいでした。点心なのに温かいご飯(それも2種類)を出すことにこだわられたとのこと、白えびのムース、甘エビの真薯、カニなど、富山ならではの食材もたっぷり。どれも主張しすぎない穏やかな感じのお料理でした。

 

最後はお菓子とお薄をいただいて、充実したセミナーは終わりました。

 

講師の中尾英力さんはこんな方です。

 

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煎茶の会

うさぎの会に来てくださる方が、お煎茶の会を開いて下さいました。

 

お道具はみんな可愛い。

床には「室閑茶味清」部屋は静かで茶味は清々しい、という意味。煎茶ではその日のテーマなどによって、お茶とお菓子に、銘を付けるのだそうです。

本日は床の短冊の言葉とも響きあうような、「茶銘は閑雲、菓銘は清秋」とつけられました。

懐紙はふたつ折りの内側にお菓子をのせておきます。煎茶はまず最初の1煎目をいただいてから、お菓子をいただきます。

最初のお茶はまったりとした甘味のある味で、煎茶ならではのものだと思います。ほんの一口でなくなってしまうのですが・・・。

2煎目は多少渋みがでたお茶となりますが、お菓子の後によく合います。

同じお茶なのに、こんなに味が変わるのは驚きです。

 

 

お昼にはスパークリングの日本酒が2種類、ハロウィンにちなんだ向付など、秋らしい点心をいただきました。

 

 

 

その後は椅子席でのお点前となりました。

 

けんどんの蓋をあけると中に菓子器がはいっています。今の季節ならではの栗きんとん。

 

5色のお茶碗は、木火土金水を表すそうです。懐紙の絵柄もこの色にちなんでいるそうです。

 

お煎茶はお点前も多く、変化に富んだ世界だと思いました。

 

また違ったお点前で開いてくださるそうですので、次回も楽しみです。

シリアの銀製小箱を見立てた香合

木の香も新しい青山の相国寺別院でのお茶会に伺いました。

 

皇室にゆかりのものなど雅なお席でしたが、床脇に飾られた銀製の香合に目を奪われました。会記によるとシリア・アレッポ製とのこと。

 

全面、髪の毛より細いような透かし彫りの丸い蓋物で、中のお香が透けて見えます。なんと繊細で美しく静かな佇まいかと心惹かれました。

 

アレッポは今は破壊尽くされた町になっています。ですが、東京を始め第二次世界大戦で大きな被害を受けたヨーロッパの町も、今はその面影もないくらいになりました。

 

ですからシリアもいつの日にか平和が訪れ、町が再建されることと思います。その時にこの銀製品を作った感性や技術が残っているのでしょうか。そうあって欲しいと心から思いました。一日も早くその日がおとずれますように。

 

亡き杉浦澄子先生は、よくやき物は時代を映すと言われました。やき物だけでなく、芸術はみなそうだと思います。日常生活が破壊されていたら芸術は生まれにくい。

 

席中でしたので、写真は撮りませんでしたが、いろいろな意味で心に残りました。

 

 

石洞美術館 古染付

石洞美術館で3期に渡り古染付の展覧会。2期の展示はすべて17世紀の景徳鎮でした。

 

景徳鎮というと精緻な中国陶磁をイメージしますが、民窯も多い。それでもやはり完成度の高いものを目にすることが多かったように思います。石洞のコレクションは景徳鎮でもぽってりした印象、歪みのある形など、日本の焼物に似ています。そういったものは多くは日本からの注文品とのこと。

 

豚の向付があり、びっくり。日本ではあまり見ないように思いましたが、中国では豚も吉祥の形だそうです。多産のイメージなのでしょうか。

総持寺で精進料理

 

鶴見の総持寺を見学した後、精進料理をいただきました。お茶と関係があるという

禅宗の食事作法にも興味がありました。

 

お箸は箸先をお椀の右下に向けるのだそうです。お箸の取り方などの説明はありませんでした。

 

以前、永平寺の写真で、箸を握りこんでいるのを見たことがあります。箸先を自分に向け相手に向けないということです。大日本茶道学会でもその扱いを伝えています。

 

 

 

胡麻豆腐、きんぴらごぼう、炊合せ、車麩の揚げ物など、美味しくいただきました。パイナップルのデザート付き。ご飯が多いかな、と思いましたが完食です。

 

最後はお椀にお茶を注いで、漬物で拭っていただきました。懐石と同じですね。私たちは修行者ではないので、1つのお椀で形だけです。

 

最後の右側に一列に並べるのだそうです。

鶴見総持寺見学

 

鶴見の総持寺を見学し精進料理をいただく会に参加しました。

 

まずお寺の中を見学します。若い修行僧が案内をしてくれましたが、本音を時々聞かせてくれて、面白かった。座禅する1畳の場所で寝るのだそうですが、寒いと思うと隣の人が布団を持っていったり、暑いと思ったら隣の布団が自分の上に重なっていたりと、若い人の集団生活らしい一面も覗かせてくれました。

 

この内側が修行僧が座禅や食事をし寝る場所ですが、修行の場ということで内部を見学することはできません。

 

座禅の時の座布団(座布)は、姿勢を正すもので、これを使っても痺れることは同じだそうです。

 

禅寺では掃除も修行ということはよく知られていますが、ここの廊下も長い。百間廊下といわれる160メートルくらいの廊下を、毎日2回雑巾がけするそうです。

 

反対側にも新しく廊下が作られることになったとき、雑巾がけが倍になると、修行僧たちがざわめいたということです。

 

しかし新しいところは滑らないように床に刻みが入りることになり、雑巾ではなくモップになり、ホッとしたというような話も聞かせてくれました。

 

20代の若者が、インターネットはもちろん携帯、テレビなど、情報から一切遮断され、365日寺で過ごしているということは、すごいことです。修行とは無縁の私はそう思ってしまうのでした。最近まで新聞も禁止だったそうで、熊本地震も知らなかったとのこと。

 

 

 

檀家とのお付き合いも多いので、新聞だけは最近読めるようになったそうです。

 

ですが熊本地震以来ということは、本当にごくごく最近ですね。

 

曹洞宗では総持寺と永平寺が共に本山で、どちらかというと永平寺は修行が中心、鶴見は檀家との関係が濃いということだそうです。

お茶の先生のこと

私のお茶の先生が96歳で亡くなりました。学生の時、初歩の第一歩から教えていただき、40年近くお世話になりました。この先生に教わったので長く続いたのは間違いありません。いつもゆるやかに見守って下さって、あれこれ言われなかったのも私にとっては良かったのだと思います。

 

決してお茶一筋という感じではなく、幅広く人生を楽しまれたと思いますが、祭壇には茶碗など一式、そしてたくさんのお茶にまつわるスナップが飾られました。

 

学生時代、先生のところに下宿して駒沢大学に通っていた方が、四国から駆けつけてお経を上げてくださいました。その後ろ姿は立派なお坊さんでしたが、ひとたび口を開くと、かつては○○さん、と下の名前で読んでいたその時のままでした。

 

彼自身も、食事の席では先生のことを故人ではなく「おばさん」と呼び、東京の母でもあったと言っていました。

 

昔のアルバムがたくさんあって、自分が写っているのは持ち帰って、と言われ、大昔の写真も思いがけずいただきました。

 

とても温かい感じがしたお葬式で、心に残りました。

 

この先生との出会いがあったから、長い時間がかかりましたが、うさぎの会につながったのでした。

 

サンリツ美術館

煎茶道具の展示があると誘われ、諏訪まで足を伸ばしました。サンリツに行ったのは、10年ぶりくらいでしょうか。諏訪湖に面した美術館ですが、諏訪湖は富栄養化なのか、緑の藻のようなものが一面に浮いていました。

 

平安木泉の吹き墨の湯冷まし、田野村竹田の白釉墨梅図茶心壺(写真で見ていたけど、こんなに小さいの、という位かわいらしい)、中国の赤絵の花入れなどが心に残りました。

ひとつひとつは良いものがあるのですが、全体的には何だか物足りない展示でした。

 

お隣にはガレのコレクションで有名な北澤美術館があり、そちらも覗いてきました。

 

帰りに駅で買ったトマトが素晴らしく美味しく、満足でした。

表千家流のお茶事 2016年6月5日

最近あまり会うこともなかった古い茶友から、思いがけないお茶事のお誘い。うれしく伺いました。マンションの1室の床を上げ、本格的なお茶室を作られていました。

煙草盆の煙草入れは小さなヤシの実が蓋に。

 

土風炉に美しい鱗灰、手付きの飯器、焼き物と香の物が2段のお重に入っているなど、本格的な表千家流のお茶事は初めてでした。地震のあった熊本の森のくまさんというお米、東日本の震災を受けた福島の大七というお酒など、被災地への思いも込められたお席でした。

Project粋のお茶会 2016年6月4日

 

若い作家たちが新しい茶道具のあり方を提案しているプロジェクト粋のお茶会が、広尾の祥雲寺で開かれました。

作品の展示とゆったりしたお席で良かったです。赤と黒の漆を塗った茶筅も登場。

 

作家たちがお点前やお運びをしてくれて、作品に対する質問にもその場で答えてくれる和やかなお席でした。

 

お天気もよく、長時間待たされることもなく、子供連れがいたりして、ゆったりとした雰囲気でした。

 

祥雲寺は茶道学会が教場としてお借りしていたこともあり、祥雲寺の席では、次客の茶碗は仙樵先生の赤楽でした。金で繕ってあって、大事に使われていたことが感じられました。

 

祥雲寺のお茶席では、青梅のお菓子でしたが、菓子器に梅の葉を敷き、その枝には小さな青梅がついていました。

楽吉左衛門氏の講演 2016年5月20日

陶磁協会の70周年記念茶会に行ってきました。茶会というよりお茶付き展示会という趣きでした。

楽吉左衛門氏の講演がありましたが、自由に思いを語るという感じで、なかなか面白かった。

たとえば中国宋時代定窯の白磁は、おそらく世界中の人が美しいと思うだろうが、長次郎の楽茶碗は世界ではそのようには見られないかもしれない。小学生に楽茶碗を見せると「なぜ黒と赤だけなのか、黄色や緑はないの」と尋ねられるそうだ。それは海外でもそのような反応があり面白いとおっしゃる。

 

そして、楽茶碗や利休がつくったという狭く暗い茶室・待庵。その待庵の床の間は柱も土壁に塗り込められ、天井まで暗いグレーの土。実際は置かれた道具も良くみえないくらいだそうです。私たちは写真で見るのだけなので、その暗さを感じることはできません。

 

この黒楽や待庵の美意識について、兼好法師の「月は隈なきものをのみ見るものかは」とか新古金の「雪間花をのみ待つらん人に山里の雪間の草の春を見せばや」に通ずるもの。

 

楽さんが佐川美術館に作った小間のほの暗さは、これに通じているのだと思いました。

毛呂の会にて 2016年4月21日

夏ロウバイという珍しいお花。花びらの縁がほんのりピンク色でした。
夏ロウバイという珍しいお花。花びらの縁がほんのりピンク色でした。
焼き杉の流立卓 黒塗りが多い流立卓ですが、焼き杉の棚も侘びた感じでなかなか素敵。
焼き杉の流立卓 黒塗りが多い流立卓ですが、焼き杉の棚も侘びた感じでなかなか素敵。

八重のどくだみ


同窓茶会 2016年5月5日

端午の節句にふさわしい干菓子。

      

林正太郎の織部皿に主菓子をのせて。