12月2度目ですので、趣向などは前回とほとんど同じでした。

 

お菓子は前回はまだなかったクリスマスリースとなりました。

 

お道具に関心のある方々でしたので、お道具談義に花が咲きました。

香合は炭道具が描かれたもので、由緒伝来は分かりませんが絵柄が珍しいと思って求めたものです。

 

この回は、ご案内するたびに参加できなくて残念という熱いメールをたびたびいただいていたので、それにお応えしたいと思って開きました。

 

「これまでこんなに笑ったお茶事はありませんでした」というお茶事となりました。何の会だったのか? 水屋を行き来していた私には謎です(^-^; 楽しんでいただけたのでしたら幸いです。

 

2020年12月6日

 

コロナに明け暮れているうちに、今年も最後の月となりました。

 

月日の過ぎる速さを感じて、軸は「金烏急いで玉兎速やかに」碧巌録の言葉です。

太陽・日(金烏)と月(玉兎)が急いで過ぎ去っていくようで、年末になると掛けたくなる軸です。

 

花入れは先日いただいた天狗寺(てんぐうじ)陶白人の三角形の焼き締めの徳利です。花は小菊。

 

向付は牡蛎のみぞれ和え、牡蛎のシーズンの定番です。煮物椀はホタテ入りの真薯、焼物はカジキですが、焼き色がきれいにつかずあまりおいしそうに見えません。がっかり。進め鉢はエビ団子、カボチャ、サトイモです。

 

 

主菓子は山茶花。

濃茶の飾りつけをしたら、水指を見たお客様から「毀滅ですね、タイムリー」とのお言葉。主人公炭治郎の衣装とのこと、これをきっかけに話題がひろがりました。

今回は人数が少なかったので、あまり出番のなかった小ぶりの砥部焼の水指を出したのですが、期せずして話題の中心となりました。

 

濃茶は茶器の中のお茶が出きらず、とても薄いお茶になってしまって申し訳ありませんでした。乾燥のためか茶器にお茶がしっかりくっついてしまっていました。

 

2020年10月22日

 

10月は名残の月。深まりゆく秋を感じながら侘びた風情を楽しむ月です。

 

掛物は円相に「我に似る」の文字。ご自身の頭かと想像しましたら、お客様から「吾が心 秋月に似たり」を思わせるというお言葉。寒山の詩だそうです。

 

う~ん、教養の差だ。

 

花は花屋さんをめぐってなんとか残花らしい雰囲気に。

 

このところコロナの影響で、点心形式が多くなっていますので、そのように。

取り箸が必ず付くので取り回しでもよいのでは、と思いつつ、長いものに巻かれています。

 

点心にするとあっという間に終わってしまうのです。

煮物椀は吹き寄せ風に沢煮椀にしました。

 

 

点心に八寸をつけてもよいのですが、湯桶もでないので何だか尻切れトンボ。あまりお酒を召し上がらないお客様でしたので、そのままほうじ茶をお出ししました。

 

毎回、やってみるとちょっとやりにくいとかこうしたら良いかもしれない、ということが見つかります。決まった方式がある方がある意味簡単ですが、一方では点心は自由に工夫できることも多いように思います。

 

 

主菓子は秋の味覚、栗きんとん。

 

前回のように片口で練って小さなお茶碗に分けて差し上げました。

 

濃茶ではこの小茶碗を直前に温めることができないので、火鉢に炭を入れ天板を乗せて温めておいた茶碗をタオルに包んで乗せてみました。でもあまりうまくいきませんでした。今ごろの気温でしたら何とかなりましたが、これからもっと寒くなるので、保温用の箱が必要かもしれないと思いました。

 

 

棗は鉄刀木(たがやさん)。木目を生かした侘びた棗です。

 

茶碗は秋草風ですが、良く見ると四季の花が描かれているものです。

 

2020年9月20日&22日

コロナでちょうど半年間お休みだったうさぎの会を9月から再開しました。

いろいろと制約もある中で試行錯誤しながらでしたが、久しぶりに楽しく過ごすことができました。

 

軸は「明歴々露堂々」の後半部分。真理は目の前にあるのに気づいていないだけ、という意味のようです。コロナという目の前の現実を受け入れつつ、より良きものを目指したいと思います。

 

文字がうさぎが跳んでいるよう、とおっしゃった方も。確かにそのようにも見えますね。

コロナにより濃茶の飲みまわしや千鳥の盃はやらないのが大勢です。取り回しもしない、ということも聞きますので、まず最初は点心の形にしました。

また、この機会に新しい試みもしたいと思い、点心はテーブル席で。普通のテーブルだとただのお食事会になってしまいます。我が家は座卓に合わせた高さの椅子があるので、亭主が床に座ってもそれほど違和感がありませんんでした。

 

飯器も出さないので、ご飯は大盛り。すぐに煮物椀を出すので、汁は少なめとちょっとアンバランスだったでしょうか。

 

最初のご挨拶は座敷で、その後テーブルに移っていただきました。しかしこれだと懐石後の炭点前ができません。1日目にそれに気づいたので、2回目の22日は炉のようにご挨拶の後すぐ炭点前と思っていたのに忘れてしまい、両日とも炭点前はしませんでした。

 

 

お菓子は月にうさぎ。

お菓子を召し上がっていただき中立となるのですが、いつも中立の時使っていただいている所で食事となったので、中立の場所がありません(-_-;)

なんだかメリハリがありませんでした。

 

一度玄関から外に出ていただく、というところがあったわよ、と言われ、私も経験したことがあったことを思い出しました。しかし寒い時はちょっと厳しい。どうしましょう。

濃茶は人数分1椀で練って、小さい茶碗に移しました。

 

濃茶は茶事のメインと言われ、1椀のお茶を皆で分かち合うところに意味があるのでしょう。官休庵若宗匠の千宗屋さんが「親しい仲間で一碗の濃茶をまわし飲みすることは一時的には難しいでしょうが、だからといって「一人に一碗」が定着すると、それは分かち合いのない、ただの飲料習慣になってしまう」と危惧されています。

 

もともと各服点てのお流儀もありますが、それは1椀1椀練るのであって、現在裏千家の推奨している次客以降は茶碗にお茶を入れたものを2椀ずつ運び出して練る、というのはちょっと違うのではないか(特にお茶事においては)と思って、この形にしました。

1人分の濃茶を練るのが難しいというのもありますが(^-^;

 

皆さん、お湯を所望され、お茶を練った片口も残ったお茶を薄茶にしてお出ししました。お客様はご自分のお茶碗に分けて召し上がって下さいました。

 

干菓子は柚子琥珀と和三盆。

秋の夜棗です。菊の花のお茶碗で薄茶をお出ししました。

このようなご時世の中おいでいただきありがとうございました。